池田剛介×岸ナイル「イメージのあふれ」展

ottr2008-12-06

池田剛介×岸ナイル「イメージのあふれ」展
「イメージのあふれ」展 池田剛介 岸ナイル
2008年12月12日(金) - 12月28日(日)
15:00-20:00(金・土・日のみオープン)
レセプション 12月12日(金)19:00-
ギャラリートーク 12月14日(日)13:00-
池田剛介、岸ナイル、粟田大輔
map: http://contempo.exblog.jp/8872185/

con tempo, exhibition "Overflowing Image"
artists: Kosuke Ikeda, Kishi Nairu
December 12 - December 28, 2008
15:00 - 20:00(only Fri, Sat, Sun)
opening reception, December 12(Fri) 19:00-
gallery talk, December 14(Sun)13:00-
Kosuke Ikeda, Nairu Kishi, Daisuke Awata




剰余のリアリティ

 今なおイメージの虚構性が声高に叫ばれるが、「現実/虚構」という二元的対立のなかで虚構について論じること自体、すでに時代遅れなのかもしれない。データベースという非在の場があたかも現実空間と等価なものと認識されつつあるなかで、私たちの身体感覚にとっては、虚構もまたひとつの「現実性〈リアリティ〉」をつくり出している。だからこそ今私たちがなすべきは、それが現実なのか、虚構なのかという問いに終始するのではなく、二元的対立に回収されることのない、別なるリアリティを構築することにある。

 「オリジナル/コピー」「物質/イメージ」という対立もまた、先の「現実/虚構」とパラレルな位相にあるだろう。繰り返すが、重要なのはもはやオリジナルかコピーか、物質かイメージかを問うことではない。それらが入り混じった状況においてなお、自らの身体感覚を介入させることによっていかなるリアリティを構築するのか。それによって体系化される変換の差異にこそ、私たちが向き合うべき「剰余」と呼べるようなあらわれが見出される。

 「イメージのあふれ」というタイトルも、作品における物質性あるいはイメージ性を問うことより、むしろ作品から「あふれるもの(剰余)」をいかに体系化させるか自体に表現の志向がシフトしていることをうかがわせる。だからこそ、例えば池田剛介による、樹脂で型取られた蝶が貼付けられたキャンバス作品やガチャポンのカプセルを組み合わせたインスタレーションも、まさしくそれらがオブジェクトかイメージであるかが重要なのではなく、池田自身によって絵画から別の体系へと変換されることで立ち上がる差異が「色のあふれ(剰余)」として露わになっている。

 岸ナイルもまた、カメラによって撮影した風景をベースに、布やプラスチック、カレンダーなどの日用品をつかい、自らの身体感覚に基づきながら風景を再構成したオブジェクトを試みているが、ここでもまた見る者が映像(イメージ)とオブジェクト(物質)との間を半永久的に横断する思考の運動に陥ることによって、日常風景のコピーとは異なる、剰余なるリアリティが立ち現れている。

 デジタル世界において完全なる複製コピーが氾濫する今、私たちの身体は究極的に「固有なもの」との決別をはかりつつある。しかしそのなかで逆説的に見出されるのが、変換の差異によって生み出される別なる光景(リアリティ)であろう。誤解を恐れずに言えば、私たちの身体感覚において、もはや自律した固有の作品は成立し難いのかもしれない。むしろ、ひとつの体系から派生するかの如くあらわれる、アウラなき作品の「剰余」にこそ、この時代における新たな表象を獲得できるのではないだろうか。

粟田大輔/美術解剖


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